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あしたもきっといい日♪(by Jun)

こぎん刺し*うちのごはん*75年前のこと

2020/08/18 14:32 晩ごはん 趣味 家族

こぎん刺しが楽しい。

最近の針仕事。こぎん刺しをやってみました。

まずは小物から、ということで、コースターです。

布(紺・ベージュ)はあったので、

まずは家にあった5番刺繍糸(白)でやってみました。

布目を数えて、ちまちまと刺していくと、素敵な模様が。

なかなか楽しい。


やる気を出して、

からし色の布とこぎん糸(こぎん刺し専用)を買って来ました(右上)。

せっかく買って来たけれど、

私にとっては、こっちの専用糸の方が、やりにくいかも。

(6本どりなので、糸がよれたり不揃いになったりしがち)


さっそく、冷たい飲み物の下に敷いて、活躍しています♪

お客さんも来ないから、もう枚数は十分なんですが、

まだまだいろんな模様があるので、しばらくは続きそうです。

うちのごはん

ある日

ポークソテー(牛乳に漬けておくと、めちゃやわらかくなります)

焼きなすの生姜めんつゆ

カボチャの煮物

明太糸こん

生ハムのユッケ


別の日

豚ニラもやし炒め

冷奴メンマのせ+食べるラー油

なすの田楽

オクラのどっさりごま和え

酢の物(キュウリ・茗荷・カニカマ)

実家へ。75年前の話を聞く

最寄りスーパーの立体駐車場から。

浮かんだ雲が気持ちよさそうだったので。


終戦記念日の翌日だったので、昼食後、戦争の話になりました。


75年前の8月15日、終戦の時、父は14才。母は10才。


89歳の父は、ぎりぎり戦争に行っていません。

兄が戦死したため、父は旧制中学をやめて家を手伝うことに。

14歳の少年は、自分も早く戦地に行ってお国のために戦いたいと、

それだけを純粋に思っていた。(15歳になれば志願できた)

今の人には理解できなくても、「そんな馬鹿げたことを」と言われても、

そのときにはみんながそう思っていた、と。


直前に特攻隊となって出撃するはずだった若者が、

終戦で出撃できず戻ってきて、荒れて「特攻隊崩れ」と呼ばれていた。

父自身も、生まれるのがもう少し早ければ、

命がどうなっていたかもわからない。


母は小学5年生。

まだ、子どもだったけれどいろいろ覚えている。というか、忘れられない。

ひとつ上の学年は、軍需工場で働いていたけど、

自分たちは、小学校の校庭を耕して野菜を作っていたこと。

竹槍で敵を突く訓練。自分はしていないけど、見ていたから覚えている。


母に、玉音放送を覚えている?と尋ねると・・

家族みんなで近くのラジオのある家に行って、正座して聞いたそうです。

放送の内容は、10歳の母には分からなかったけど、

誰かが「日本、負けたんや~」と叫んだのを覚えてるそうです。

そして、

戦争が終わったら、教科書に墨を塗る毎日だった、と。


そんなたいへんな思いをした父と母。

心穏やかに今を過ごせるようにしてあげなくちゃ、と思ったのでした。


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